【GTの沖縄旅行記 その2】ひめゆりの塔と平和祈念資料館

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こんにちは、GTです。沖縄旅行記その2になります。

羽田空港を飛行機が飛び立ち、無事に那覇空港へ到着しました。空港からは予約してあったレンタカーを借りてホテルへ移動。軽く休憩して荷物を整理した後、ひめゆりの塔へ向かいました。

ひめゆりの塔とは

太平洋戦争では沖縄が戦場となりました。その沖縄陸軍病院には看護要員として、女子生徒や職員が従軍したのです。そして多くの人が犠牲となったのでした。その慰霊碑がある場所です。

ひめゆりの塔がある敷地内にはひめゆり平和祈念資料館があります。資料館には当時の戦闘の様子やどのようにして人が犠牲となったのか、詳しい説明や資料が展示してあります。

ひめゆりの塔と資料館の基本情報

ひめゆりの塔は沖縄県南部の糸満市にあります。那覇空港から結構近くにあります。那覇空港から直線でおよそ12㎞の距離にあります。結構近いですから車で30分か40分くらいあれば見に行くことが出来ます。

私は車で糸満市役所のある側から南下し、国道331号に沿って東に向かいました。以下はストリートビューで、ひめゆりの塔の手前50mの場所です。

50m進んでひめゆりの塔の所にある交差点「伊原」を通過します。そこを30mくらい過ぎた所でしょうか、以下の写真の所に来ます。右折して無料の駐車場に入りました。

はい!広いです!他1台も止まってませんでしたー!右端に見えるのが私が乗ってたレンタカーです。

平日の午後4時過ぎくらいだからですかね。ガラガラでした。日曜日なんかはどうなんでしょう。ある程度多くの人が来るのだと思います。

それにしても観光地の駐車場が無料なんですね。沖縄いいところ♪

アクセスが容易なひめゆりの塔と資料館の基本情報は以下の通りです。実は平和祈念資料館の敷地の中にひめゆりの塔があります。

【平和祈念資料館とひめゆりの塔】

住所:沖縄県糸満市伊原671-1

資料館 開館時間:午前9時~午後5時30分まで(入館は午後5時まで)*年中無休

入館料:大人310円、高校生210円、小・中学生110円

問合せ電話番号:098-997-2100

平和祈念資料館HP:http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html

敷地内に入ってみる

敷地内すぐに案内看板がありました。すぐ先にひめゆりの塔があり、更に左奥に進むと祈念資料館です。

少し歩くとひめゆりの塔の慰霊碑がありました。

このひめゆりの塔ですが、イメージしていたものとは違っていました。塔といえば高くそびえ立つものですよね。でもひめゆりの塔はそのような高いものではなく墓石のようなものです。今は写真のように慰霊碑があり、この写真の右手前にひめゆりの塔があります。

慰霊碑には犠牲となった職員や女子学生の名前が刻まれています。

そしてその下にある穴ですが、これは「ガマ」と呼ばれる壕です。この壕の中に沖縄陸軍病院第三外科が置かれていたのでした。沖縄戦がありましたので、負傷兵が運ばれ、従軍した女子学生もここで看護に当たりました。そしてたくさんの人が犠牲となったのでした。

そのための慰霊碑なのです。

平和祈念資料館と感想

資料館の中では、太平洋戦争の流れと沖縄戦の詳細が説明されていました。その中で私が大きく感じたものを以下2つ紹介します。

感想1:徹底抗戦

沖縄陸軍は本土決戦を遅らせるために徹底抗戦を選んだ。そのために圧倒的な兵力を持つアメリカ軍に対して戦線を後退させながらの撤退持久戦を行った。アメリカ軍は戦線を押し上げる過程でたくさん砲撃を行ったので、日本軍や民間人は壕の中に避難することとなった。当時壕の外に出ることは自殺行為と同じようなものだった。

徹底抗戦しないで降伏すれば良かったですね。当時の日本は1945年3月の東京大空襲を防げない状態です。本土決戦をしても日本はアメリカに負けるのが目に見えているわけです。

戦わずに降伏すれば犠牲者は少なく済んだのです。

でもこれは今だから言えることで、国のために命を懸けようという人が簡単に降伏という判断は下せないですね。国のために命を捧げようとして徹底抗戦を選んだことを責める気にもなれず、犠牲者がたくさん出たことを悲しく思い、その死を悼むばかりです。

感想2:女子学生を怒鳴り壕から追い出す

私が一番印象に残っているのは以下のお話です。記憶で書いているので完全に正しいものではないでしょうが。

壕の中で女子学生と兵隊が一緒にいた。いざアメリカ兵が攻撃してきてどうしようも無いときは命を捨てることになっていた。兵隊は言っていた。いざその時は兵隊が女子学生の命を取り、その後兵隊が後を追うと。

最後の時が近づくと、なぜか兵隊は日本刀を振り回して女子学生に対して壕から出ていけと怒鳴り散らした。壕の外にはアメリカ兵が銃を構えているが仕方なく出ていった。そしてアメリカ兵へ投降した。

そうすると中で爆発音が響いた。兵士は手りゅう弾を使って命を絶ったのだった。

私の想像では、兵隊さんが最後に女学生に降伏を勧めたのですね。でも国に報じるために命を懸けようと言っていたのですから、みんなで投降しようなどとは死んでも言えないのでしょう。日本刀を振り回して壕から出ていけと怒鳴り散らすことで、学生たちは壕から出ざるを得ません。そうして穴から学生が出れば降伏となります。すなわち命が救われることになるのです。

生き恥をさらす

当時の兵隊さんにこれは絶対に耐えられないものだったことでしょう。

壕から出るということは自殺行為でもあります。弱い立場の学生を壕から追い出すなんてことは、保身的で身勝手な行為です。そんなことをすれば汚名を着せられるわけで、それをわかった上で学生を壕から追い出したのです。汚名をしょいこんだ後に降伏して助かる道は彼になかったのです。

たとえ死すことになろうとも学生たちの命だけは助けたかった!その想いは実を結び、学生たちは死なずに済みました。

帰路へ

閉館時間が午後5時30分でしたが、最後までいろいろじっくり見読んで回りました。いい勉強になったと思います。

兵隊さんが学生を壕から追い出した話はヤバいです。マジ泣きました。兵隊さん、あなたの命を懸けた最後の決断が学生たちを死なせずに済みました。あなたこそ真の漢です。深く敬意を表します。

このように、感じることも大きくて平和について考えることにもなり有意義な時間を過ごせたと思います。みなさんも沖縄に来るときは是非立ち寄って下さいな。

その後レンタカーに乗り込み、最後に首里城を見ようと思いました。首里城は沖縄の中央辺りにあります。

・・・ということですが、夕方になり道路が渋滞しまくりでした。

沖縄って通勤するのに車使う人が多いのかもしれません。ひめゆりの塔へ向かう途中の道は空いててスイスイだったのですが、午後6時くらいからはどこもかしこも渋滞でホント進まなかったです。みなさんは夕方の渋滞を予定に入れるようにしてくださいね。

結果、首里城を見に行くのは断念して宿泊先ホテルに向かいました。

ということで今回の記事はここまでです。いかがでしたか。ではまた!

以下へつづく

【GTの沖縄旅行記 その3】首里城 - 単なる王族の居城ではなかった!

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